お 接 待 (2)
2001.11.06記
〜 イ ン ド に お け る 布 施 〜
前回は、四国遍路での「お接待」についての基本的なお話しで
した。
もう一度おさらいをしますと、お接待はお大師さまへのご供養で
したね。
ですから、お大師さまと一緒に巡礼されるお遍路さんたちを、四
国の人々はお大師さまと見立ててお接待をされるということでした
ね。
さて、これを「布施」と云う言葉でも表現することが出来ると思い
ます。
「お布施」と聞くと「坊主丸儲け」なんて言われる方もおられます
が、一体「お布施」をすることにどのような意味があるのでしょうか?
「托鉢」をされている方や「お接待」を受けられた方の
中には、あろうことか『よく儲かる!』と言い、仕事代わり
にしている連中もいます。
しかしそれは、おそらく「施しをされる」と云う本当の怖
さを知らないからでしょう。
(ここでお断りをしますが、托鉢を通して本当に「施さ
れることを知る」ために、真剣に修行をされておられ
る方もいます!)
今回はその「施される」「施す」について、インドでの
「布施」についてお話ししてみましょう。
インドでは、まだまだ昔の日本のように小さな子供が
働いているのが現状です。地域によっては、外国人と見る
や群がって来て、お金や食べ物をもらおうと手を差し出して
きます。
仏心を出して一人の子供に何かを手渡そうものならば、
ひどい場合はそこら辺りにいた子供から大人までに、すっ
かり囲まれて身動きできなくなってしまうことさえもあります。
インドではご存知のように貧富の差が激しく、身分の差を
表す「カースト制」が田舎ではまだまだ根強く残っています。
そして人々は、来世はもっともっと身分の高いカーストに
生まれたいと望んでいます。
そのための一つの方法として、「施し」があります。
ですからインドでは喜んで「施し」をしますし、それが習慣となって、日常に溶け込んでいます。
自分の低いカーストは、自分が過去世に行なってきた
悪いことの「報い」に因る、と云う「因果応報」の考え方を
受け入れています。
そして人々は、その「悪い報い」を「施し」をすることで
解消しようとします。
寺院などに出かけると、必ず「乞食(こじき)屋」さんが
います。日本では考えられないことですが、インドにおい
ては歓迎すべき存在なのです。
場所によっては両替屋があり、そこで小さく分けた小銭
を彼らに施していきます。
「お金」と云うものは、その重宝さから人々は強い「執
着」を起こします。自分にとって一番「執着」し易いその「お金」を彼ら
に施すことにより、その貧しい人を助けることになります。
それはまた、神さまを助けたことにつながります。
また「お金を施す」と同時に、施す人が持っている「悪い報いのエネ
ルギー」が「お金と一緒に流れて」いきます。
それを「施される」人が「お金と一緒に受け取る」わけです。
その「悪い報いのエネルギー」を受け取る仕事が「乞食屋」さんなの
です。彼らは「もっと欲しい、もっと欲しい」という強い「貪りの心の報い」
に因り、非常に貧しい貧しいカーストに生まれたと聞きます。
そして彼らは、その「貪りの心」から望んだ通りの「施しを受ける」人
生を創り、施しをしてくれる人々の悪い業(カルマ)のエネルギーも受け
取ることをしなくてはいけない人生を生きるのです。
ですから「お布施」に限らず、人をだまして「お金」を儲けた人は、そ
の「お金」と一緒にだまされた人が持っている「悪いエネルギー」も受け取っています。
お腹の中で『よしよし!儲かった、儲かった!』と思っ
ていても実は大変なものを一緒に背負い込んでいるこ
とを知らないのです。
四国での「お接待」には、無意識のところでインドの
人々と同じ思いがあります。
お大師さまに感謝し、ご供養することで自分や周りの
人々の幸せを願います。
それは「お接待」が「慈悲(施し)」と「感謝(施される)」
と「お大師様」が一つになるときなのです。そして、お互
いの「魂の浄化」がそこで行なわれるのです。
皆さんも「施しをする慈悲の心」と「施しをされての感謝の心」の二つをご修行さ
れてみてはいかがでしょうか?