2001.12.06記
                               「厄(やく)」と聞いて、まず真っ先に思い浮かべるもの
                             に 「男四十二、女三十三の大厄」 があります。
                              特に男性の本厄は、俗に「四二年(しにどし)」とも云わ
                             れ、事業などが上手くいかなくなったり大きな病気や事故
                             をしたり、最悪の場合はお亡くなりになったりすると聞きま
                             す。
                                     
                               その不運な「厄年」を無事に過ごすために、多くの人は
                             「厄除け」のご利益を求めて神社仏閣に足を運びます。
                               四国八十八ヶ所の中では徳島県の「第23番・薬王寺」
                             の名が特によく知られています。

                               さて、「厄」と云うものは「厄年」だけにあるのではありま
 せん。皆さんの周りでも、よく『今日は厄日だね・・・。』と云われるのを聞いたことがあると思います。
  広辞苑でその意味を調べてみると、@「くるしみ。わざわい。
 災難。」A「厄年のこと。」とあり「厄 = くるしみ。わざわい。
 災難。」と云うことが分かります。
  つまり「厄」と云うものは日常生活の中で、いつでもどこでも
 起こりうるものなのです。
 
   この「厄」がいつ起こるのかは大体は決まっていて、これを
 一般的には「運命」と云います。
   そこで古来、賢者たちは星の運行などから人々の「運命」と
 云うものを読み、「厄」が起こるときにはその「厄除け」を行なっ
 てきました。
   節分のときに寺院で行なわれる「星祭り」がそれです。
 
   密教にも「密教占星術」と云うものがあり、正式には「文殊師
 利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」と云います。それは
 「知恵のすぐれた文殊菩薩と諸々の賢者たちが、時日の吉凶と宿曜の善悪を説いたもの」と云う意味で
 す。
   しかし、この名前では非常に長いので、一般的には「宿曜経(しゅくようきょう、又は、すくようきょう)」
 と呼ばれています。このお経に記されている教えから、その人の生まれた月日をもとに、二十七の種類
 に分けられた人間の性質を割り出し、そこから様々な吉凶を知ることが出来ます。
 
                               さて、今回はテーマが違いますので「厄」のお話しに戻
                              りましょう。
                               「厄」とは、先ほども述べたように「くるしみ。わざわい。
                              災難。」であり、その正体は「否定的なエネルギー」なの
                              です。
                               それは何かと云うと自分自身が起こす「怒り。憤り。
                              憂い。悲しみ。苦悩。ねたみ。そねみ。貪り。・・・」などの
                              否定的な思いのエネルギーです。
                              
                               それらを自分自身が心の中で抱え込み、ある時期が
                              来るとその「否定的エネルギー」が外に向かって放出し
                              始めます。それは、病気、事故などの、いわゆる「厄」と
                              なって現れてくるのです。
 
  ですから「厄」から逃れるには、どれくらい「自分自身が抱えている否定的エネルギー」を浄化するかに
 かかっています。
  浄化の方法と云うものは、古来より様々なものがあります。この方法はいずれ、テーマを変えて詳しく
 お話ししていきたいと思っています。今回は、自動的に起きる浄化の現象をお話ししてみましょう。
 
  皆さんの中で、このような経験をしたことがありませんか?
    ◎本当に本当に大切にされていたものが、ある日忽然として消えてしまったと云うことはありません
     か?(確信を以て、そこに置いてあったにもかかわらずです!)
    ◎あるいは身に付けていた、大切な大切なものを落としてしまったことはありませんか?(腕時計の
     バンドやネックレスなどが、何もしていないのに突然プッツリと切れてしまうのです!)
    ◎また、自転車やバイク、あるいは他のものでも誰かに盗まれたことはありませんか?
  そして一生懸命に探しても探しても見つからないと云う悲しい思いをしたことはありませんか?
 
                              これらは全て、自動的に起きる浄化の現象なのです。
                             その人の大切にされている物が失われることによって、そ
                             の人の身にこれから起きるであろう「厄」である災難や心
                             の苦しみが、それによって逃れることがあります。
                          
                              『そんなことを言ったって災難が起きなければ、それが
                             「厄除け」だなんて分からないじゃないか!』とおっしゃら
                              れる方もおられるかもしれませんが、ご心配なく!
                           
                              本人が気がつかないうちにと云うこともありますが、ほと
                             んどは、もうちょっとで車で人を跳ね飛ばすところだった、
                             とか言ってキモを冷やすことがあったりします。そう云った
                             ちょっとした印みたいなものが起きて、その人に注意する
                             ことを促します。
                            
                              また、寺院などで「身代わり○○」とか云った石などを受
 けて護持していた人が、ある災難を無事逃れた後でその「身代わり石」を見てみると割れていることがあ
 ります。
  このように、自分が身に付けているものが「身代わり」となって壊れたり、消えたりするのです。このとき
 は、本当に大事にしているものほど悲しいことなのですが、その「身代わり」となってくれたものに対して
 感謝し、自分自身を「反省」してみて下さい。物によっては、その「厄」が終わると帰って来たりします。
 
  結局「厄」と云うものは、自分の外からやって来
 るものではなくて、自分の内から起こすものなの
 です。
  ですから「厄」の無い人生を望むならば、日常
 生活の中でどれだけ自分自身の「心を快活に、
 積極的に生きる」か、にかかっています。
  しかし、先ほどもお話ししたように「運命」と云う
 ものがあり、これが動き始めると、どんなに理性
 で分かっていてもどうしようもなく「否定的な心の
 動き」が出て来るものなのです。
  これは本当にどうしようもなく、湧き水の如く止
 めどなく溢れてくるものなのです。
 
  このときには、いくら有り難い神さまや仏さまの御教えをお話ししても、この人を救うことは出来ないの
 です。こんなことは誰だって理屈じゃ分かっているのです。昔から「分かっちゃいるけどやめられない」と
 云われます。理屈じゃ、人は救えません。
  ですから、ここで「神さま仏さまの御力」が必要になってくるのです。「祈り」が必要になってくるのです。
 
  神さま仏さまは必ず「祈り」に応えてくださいます。
  どうぞ皆さんも、毎日を「祈り」のある生活とし、反省する心を身に付けてみて下さい。きっとあなたが
 抱える「厄」を浄化し、迷い乱れる心を導いて下さり、人生を実りある豊かなものとして下さりますよ。
厄(やく)
伊予十三仏霊場による火まつり
厄 除 鐘
厄除けの寺・第23番薬王寺
第23番薬王寺・厄坂
厄 除 臼