開 運 !(2)
2002.02.15記
二月三日は全国のほとんどの寺社で節分祭が行わ
れました。この日は多くの厄年の方が、寺社へ足を運
ばれたのではないでしょうか?
多くの方たちを迎え、節分祭を行われた神主さんも
お坊さんもご苦労様でした。
さて節分も過ぎ、厄年の方はもう「厄除け」は済まさ
れましたか? そう言うと中には『
厄払いなんてやって
もやらなくてもいっしょだ!そんなもなのは気休めだ。』
と言われる方もおられると思います。
それはそれで結構ですが、厄年を迎えるにあたって
本当に大切なことは「全てを見直す」ことではないでしょ
うか?
どのような生活スタイルで今まで過ごしてきたのか?
その過ごし方によっては大きな病気をしたり、ストレスがいっぱいで集中力に欠け、雑な言動で対
人トラブルや交通事故などを起こしてしまいがちです。
そういう意味では「厄除け」を受けると云うことは心機一転、気持ちを入れ替えるいい機会ではな
いでしょうか。まだ「厄除け」を受けられていない方は、今からでは遅いということはありませんから、
ぜひお近くのお寺や神社で受けられ心機一転をして下さい。もちろん厄年にかかわらず、最近何か
ツイてないな、と思われている方もお勧めいたします。
前回は「運とは何か?」と云うことに軽く触れて
みました。そして究極の開運方法は「神さまや仏
さまたちと仲良くなること」とも言いました。
そこで今回は、開運のために必要な第一歩に
ついてお話ししてみましょう。
それは特別なものでも何でもない、日常生活
そのものです。当たり前と言えば当たり前のお話
しなのですが・・・。
『 現在の自分を知ろうと思うならば、過去から
の自分を見ればよい。未来の自分を知ろうと思う
ならば、現在の自分を見ればよい。』 と、云われ
ます。
自分が現在、幸せに感じているのか、それとも
不満だらけなのか。それは現在までの、自分自身の日常生活での行いを見れば分かることです。
逆に未来の自分がそのとき幸せに感じられるか、不満だらけになっているのかは、現在の自分
自身の日常生活の過ごし方を見れば分かるわけです。
一日の積み重ねが三百六十五回で一年となります。それでは、一日一回白紙の画用紙に青色
の線を書き入れたとしましょう。一年経つと、そこには三百六十五本の青色の線で、何かの模様か
絵が出来ているでしょう。
このように一つのことを、毎日毎日繰り返すことでそれが「 カタチ 」となってきます。「
良い運を
つくる 」と云うのは何でもない、このような日常生活の中での単純な行いの繰り返しなのです。
密教では「身(しん)・口(く)・意(い)」と云われるもの
があります。それは「身−行動」「口−言葉」「意−思い」
のことを云い、この三つを大切にします。
この「身・口・意」を、日常生活の中でどのように使っ
ているのか? その毎日の積み重ねが、自分自身の運
命の良し悪しを形作って行きます。
たとえば、夜更かしをしたり、暴飲暴食を毎日繰り返
す「行動」をしていったならば・・・。
また、関わる人たちにいつもいつもイヤミを言ったり、
傷つけるような「言葉」を繰り返していったならば・・・。
また、心の中で誰かを憎んでいたり、怒りや悲しみな
どを持ち続けていたり、人間関係も日常生活も、仕事も
いい加減な「思い」で行っていたら・・・。
どうなるかは、誰でもちょっと考えれば分かることです
よね。
ですから逆に、運を良くして行くためには「積極的な行動」と「思いやりのある言葉」と「建設的な
思い」を毎日の生活の中で積み重ねていくと良いわけです。
その第一歩が「掃除」です。特に「トイレ掃除」が一番良いでしょう。
これは職人などの世界では当たり前のお話しです。弟子入りした最初の仕事は、必ずといって
よいほどトイレ掃除からです。最初から仕事なんか、教えてもらえないのが当たり前です。
弟子は最初、やっとの思いでトイレ掃除をした後で親方から、
『 今、お前が掃除したその便器を舐めてみろ!』
と、言われるわけです。今の時代だと、やれイジメだとか、人権侵害だとか何とか言って騒ぐ連中
がいますが、これはとっても大切な教育なのです。人間を育てるという教育なのです。
これは、自分が今やった仕事に対しての責任と誇りを問われているのです。
そして最も汚いとされているトイレ掃除がキチンと出来れば、どのような仕事も出来るようになる
わけです。
仏教ではこれを「 下座行(げざぎょう) 」と云います。
こう云った、人が嫌がることを進んで行うことで「 堪え
忍ぶこと 」「 我慢 」を学び、それを身に付けるのです。
しかしここで云う「 堪え忍ぶ、我慢 」は、自分だけが
我慢をすればいいと云う消極的なものではありません。
夢や希望を実現させるためには、一時我慢をしなけ
ればいけないときがあります。あくまでも「 肯定的な我
慢 」でなければなりません。
現代に多い「 心の病 」を持たれる方のほとんどは、
この肯定的な「 堪え忍ぶ、我慢 」が欠けています。
世の中はインスタント的な風潮があり、何でも簡単
にすぐに結果が出ないと気がおさまらない人がおられ
ます。自分本位な考え方です。
物事は「 育てる 」と云うことが大切です。育てるとは
「 手間ひま掛ける 」ことであり、堪え忍ぶことです。
運も「 育てる 」ことです。
それから家の中の掃除を、毎日少しずつ続けるこ
とで「 持続力 」や「 集中力 」などが身についていきま
す。
そして片付けると云う習慣によって、自然と整理整
頓が上手になってきます。これによって仕事や人生の中で起きてくる問題に対して、上手に整理
しながら「 問題を解決していく力 」がついてきます。これらはまさしく 「 開運のためにはなくては
ならない力 」です。
不運で嘆いている人の多くは、日頃からの「 消極的な行動 」と「 思いやりのない言葉 」 と「 曖
昧な夢や希望を甘く思う 」習慣を持っているようです。それは、やらなければならないことに対して
面倒くさがり 『 まっ、いいか。』 で、軽く済ましてしまっています。このように現実を軽んじていては、
決して「 本当の開運 」はやっ
て来ません。
困ったことが現実に起きているとき、何とか神さまや仏さまの「現世利益のお陰(かげ)」を頂き
道が開いても、多くの人は「喉もと過ぎれば・・・」で終わってしまいがちです。そしてまた同じ問題
で、困った困ったと呟いているのです。
「本当の開運
」とは、現世利益から卒業をしていくこ
とです。普通は、現世利益を得ることで人々は安心を
します。
病気が治った、たくさんのお金を得ることが出来た、
仕事が上手くいった、子供が思うように育ったなどな
ど、現世利益は数え上げたらキリがありませんが・・・。
しかし、それらを得ることで安心をすると同時に、
失われることに対して恐怖もします。
神さまや仏さまを信仰し、日常生活の中で良い習
慣の「身・口・意」の練習を繰り返していくうちに「現世
利益は自分が本気で頑張れば、どうにでも出来る
」
と云う確信が出来てきます。
たとえそれが難病で、医者から見離されたとしても
です。
それは現実の中に起きてくるものに対して、今まで
恐怖や不安に感じていたものが消えてなくなるのです。
これこそが「本当の開運」なのです。
運を開きたかったら、まず自分の足元を見ることが大切です。「身・口・意」を良い習慣にすること
です。ですから「 開運とは、神さまや仏さまからただ貰うものではなくて自分が創っていくもの
」なの
です。
では寺社に詣でて、神さまや仏さまから運を頂けるとはどういうことなのでしょうか?
そこには運を頂こうとする「 積極的な行動 」と、運を開くと云う「 具体的な思い
」と「 言葉 」がある
からです。
全ては自分が行動を起こすことで始まるのです。
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トイレの神さま
鳥枢沙摩明王
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節分・神火まつり
大麻比古神社(徳島) |
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節分・神火まつり
大麻比古神社(徳島) |