開 運 !(3)
2002.03.16記
開運のために、今回は「徳」についてお話ししてみましょう。
広辞苑では「徳」を次のように説明しています。
@道をさとった立派な行為。
A善い行いをする性格。身についた品性。
B人を感化する人格の力。めぐみ。神仏の加護。
C利益。もうけ。富
世間では『不徳の致すところで・・・』 とか 『あの人は徳がある、
徳がない』とか云われます。皆さんも何気なく使っているのではな
いでしょうか。
さて、1月の「開運!(1)」で『運とはエネルギーである』と云う風
に言いました。実はこの運が良いか悪いかは「徳」次第なのです。
「徳」もまたエネルギーなのです。
例えて云うならば、現在の生活の中でお金は絶対に必要なものです。お金(またはそれに代わる物)
がなければ、社会で生活をすることが出来ません。お金を普段から蓄え必要なときに、それを必要なだ
け使います。そうすると、ほとんどのことは事がスムーズに運びます。なんら支障がありません。
運と云うのもこれと同じようなもので、運気がスムーズに動いていくのには「徳」が必要です。普段の生
活の中で、お金を貯蓄するのと同じように「徳」を貯蓄しているかどうかです。
では「徳」はどのようにして貯蓄するのでしょうか?
その前に「徳」とは何か? と云うところからお話しておく必要がありますね。でも、そんなに難しく考える
必要はありません。
皆さんは、往来で人に道を聞かれたらどうされますか?
その人は場所が分からなくて困っているわけですから、当然教えて差し上げますよね。このとき、その
人は道を丁寧に教えて頂くことにより、非常に嬉しい気持
ちになります。「
徳 」 はこのときにつくられます。
「 人を喜ばせる
」 ことにより、そこに 「 良きエネルギー 」
が生まれます。これが
「 徳 」 の基本的な考え方です。
つまり 「 徳が有る
」 は 「 肯定的エネルギーがある 」 こ
とです。
その逆の 「 不徳である
」 は 「 エネルギー不足 」 あるい
は 「 パワー不足
」 と云えるでしょう。
また人を不愉快な気持ちにさせたり、悲しませたりするこ
とにより、そこに
「 悪いエネルギー 」 が生まれます。これ
を 「 不徳を積む
」 と云い 「 否定的エネルギー 」 を指しま
す。
それでは、もう
「 どのようにして徳を積むか?」 はお分か
りになりましたね。
それは 「 人をどれだけ喜ばせるか 」 に尽きるのです。そしてこれが最も重要なことですが、人を喜ば
せると云うことは 「 神さまを喜ばせる 」 と云うことになるのです。
宗教家が 『 神さまが喜ぶことをしなさい 』 と云う風によく言いますが、私たちは具体的に何をして良い
のか分かりません。ついつい何か、特別なことしなければならないのかと考えがちです。
しかし、神さまは私たちに何か、特別なことを要求しているわけではありません。人として当たり前のこ
とをすることを喜ばれるのです。
神さまは、この宇宙を舞台としてそこに様々な物語を展開するために星々を創りました。そしてそこに
山や海を創り、花や樹木などで彩りました。その中にまた様々な生き物を創造し、彼らが生きるために
必要な様々なものを用意しました。私たち人間も神さまが創られた存在です。
それは、全ての存在が神さまの祝福によって存在していることを意味し、全ての存在が神さまの子供
であると云うことです。ですからその存在を助けることは、結局は神さまを助けることになります。
私たちの身の回りのことで少し考えてみましょう。私たちは一般
的には家族と同居をし、ひとつの小さな社会を構成しています。
自分たちが住む家の周りや部屋の中を掃除をすると、スッキリ
して気持ちがいいものです。また庭にある樹木を手入れしたり、
草花を綺麗に咲かせたりすると、これを見た親は喜びます。
また兄弟姉妹があれば、時にはいがみ合っても仲良く協力し合
います。これを知っている親は喜びます。
また家族以外で何か困った状況にある人を、子供が手助けをし
ているのを知ると親が喜びます。人間の親ですら、子供が良いこ
とをすると嬉しい気持ちになります。
これと同じように、この地球の環境を大切にしたり、縁ある人た
ちを慈しみお互いが助け合うことは、神さまを喜ばせることになり
ます。
私たちの本当の親は神さまです。そして、世界中の人々とは兄弟姉妹です。共に競い合い、あるいは
仲良く手をつなぎ、この現実を創造、発展させていくことを神さまは喜びます。
以上の 「 良きことをし人を喜ばす 」 ことで 「 徳 」 を積むことが出来ます。その方法は、本当に様々
なものがあると思います。ゴミ一つ拾うことも、体の不自由な人のために道を通りやすくしたりするのも
その方法です。また、笑顔を見せたり思いやりのある言葉を掛けたりすることもそうです。
またこの 「 徳を積む 」 ことは、自分の 「 運命を変える 」 ことでもあります。
これに関して 「 陰隲録 ( いんしつろく ) 」 のお話しがあります。ご存知の方も多いとは思いますが少
し簡単にご紹介してみます。
中国、明時代の袁
了凡 (えん りょうぼん) と云う人が、
子供のために書き残した
「 陰隲録 」 と云う書物がそれを
教えてくれます。
「 陰隲 」 とは仏教で云う
「 因果応報 」 のことで、中国で
は 「 天敬思想
」 を云います。それは 「 私たちが陰徳を行
えば、天は必ず良き報いを与え、悪いことをすれば天は必
ず悪い報いを与える
」 考え方です。
袁了凡は若い頃に大変優れた易の達人に出会い、自分
の運命を予言されそれがことごとく的中しました。彼はこの
ことからすっかり「運命論者」になり、人の一生涯の運命は
最初から決まっているものだと云うことを信じていました。
その後、役人になった彼は北京へ行ったとき、雲谷禅師
と云う偉いお坊さんを訪ねました。彼はそこで
「 運命は自
分でつくるものだ
」 と云うことを学び、今までの 「 運命論
者 」から 「 運命を変える
」 ことを実践していく人となりまし
た。
その 「 運命を変える 」 方法とは 「 徳を積むこと 」 なのです。彼は雲谷禅師から
「 功過格書 」 を授
かり、毎日毎日善事を実践しました。
その 「 功過格書 」 とは、功格=善事(50の)、過格=悪事(50の)が記載された点数表のようなもの
です。例えば、人一人の命を助けると100点、病人を健康にすると10点、人が良いことをしたことを誉
めると1点、またその逆に、人一人の命を死なせるとマイナス100点と云うように計算をして、今日一日
自分がどれだけ徳を積んだか、あるいは不徳を積んだかが分かるものなのです。
彼はそれを実践した結果、予言では絶対受からないと言われた、現在のもっと上の役人の試験に合
格をしました。そして子供を授からない運命にあった彼は、更なる善事を積むことで望みの男の子を授
かることが出来ました。そして極め付けは、寿命を53歳の年の8月14日丑の刻までと予言されていまし
たが、この 「 陰隲録 」 は69歳のときに著されたものなのです。
このように 「 徳を積む 」 と云うことは本当に大事なことなので
す。 『 どうせ俺(私)なんか・・・。』 といじけて自分の運命を嘆い
ている暇がある方は、一日一善の努力をされることをお勧めい
たします。必ずやあなたの生き方そのものが変わってきます。
それは物事の見方や考え方が変わることであり、そうすると自
動的に運命というものが一変します。しかし良き習慣と云うもの
は、頭ではしようと思ってもなかなか続けられるものではありま
せん。しかしそれでも続けようとする努力が大切です。
袁了凡も 「 陰隲録 」 の中で、こう述べています。
『 善を行うことは容易ではありません。何日も何日も何一つ善
事を行うことが出来ない日が続くことがあります。しかしそれが、
ふと、二日続き、三日続きというようになって、いつの間にか長く続くようになります。
大切なことは、うまず、たゆまず実行し続けることです。 』
〜 「 徳 ( と く )」 〜
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南インドの大地の向こうに
そびえる神の山 |
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| 第47番浄瑠璃寺 |
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| 第43番明石寺 本堂 |
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| 第42番仏木寺 地蔵菩薩 |
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大法要に同席するのも
「徳積み」の一つ |