2002.05.16記
密 教 (1)
〜 空海上人弘法大師がもたらしたもの 〜
四国八十八ヶ所霊場のほとんどは「真言宗」のお寺ですが、ご存知でし
たか? これは「空海上人」がお開きになられた宗派が「真言宗」ですから
当然と云えば当然ですが・・・。
さて、皆さんは「真言宗」に対してどのようなイメージを持たれておられ
ますか?
また、この「宗派」を超えて「仏教」と云うものに対してどのようなイメージ
を持たれていますか?
さらに、その「仏教」と云うものを超えて「宗教」と云うものにどのようなイ
メージを持たれていますか?
今回から、その辺りについてのテーマでお話しをしていきましょう。そし
て今回は、「空海上人」が日本にもたらした「宝」を、その歴史的背景から
見て行きましょう。
さて「真言宗」についてのお話しからですが、まず「密教(みっきょう)」と
呼ばれているものについて軽く触れておかなければなりません。なぜなら
「真言宗」は「真言密教」とも云われているからです。
基本的に「仏教」には二つの方法があります。その一つは「顕教(けん
きょう)」と呼ばれるもの。もう一つが「密教」と呼ばれるもの。
「顕教」は字が表しているように、「顕された教え」なのです。これは、仏
さまの悟り、教えはこうで、ああで・・・と「仏さまの悟りが記されたお経を目
にして、文章から学ぶ」と云うスタイルです。
これに対して「密教」は、仏さまの悟りを文書からだけではなく、特殊な瞑想などを通じ「自分の身体で
以って、理屈ではなく体感していきながら学ぶ」と云うスタイルです。
簡単に言うと「顕教」=「知識」、「密教」=「実践」とも云えるでしょう。「密教」は、いかにして「お釈迦さ
まが悟られた境地」を「自分の身の上に再現」出来るか、と云う「実践」の方法です。
また「秘密仏教」あるいは「秘密の教え」を略して「密教」と呼ばれるのですが、一体何が「秘密」なので
しょうか?
空海上人が著された「弁顕密二教論(べんけんみつにきょうろん)」
の中で、秘密には二種類ありと私たちに教示されています。 それは
「如来の秘密」と「衆生の自秘」であると・・・。
「如来の秘密」とは何か? それは密教の実践そのものが難解であ
り、その人の内的な悟りが深まらないと教えれないものがたくさんあ
るために、教えを秘密にするというものです。
武道でもスポーツでも、何かが出来るようになるためには段階と云
うものが必要です。例えば柔道を学ぶ中で、相手を投げることも満足
に出来ないのに、いきなり大きな投げ技を教えても出来るわけがあり
ません。初心者に高度な技を教えることは、かえってその人の自信を
失わせ、駄目にしてしまうこともあります。
これと同じように、宇宙の秘密を学び実践する人のレベルに合わせ
ていくのです。
そして「衆生の自秘」とは何か? 先ほどの柔道で例えるならば、達人がとてつもなく凄い投げ技を隠
すことなく披露してくれても、それを見ている人の方に、それを見極める眼力がなければ何にも分から
ないものです。
宇宙の秘密は、私たちに何一つ隠すことなくオープンに示されているのですが、それを受け取る私た
ちの目がかすんで見えないから秘密になっているのです。精神的な段階が上がって来ないと、見える
ものも見えないわけです。
いかがでしょうか? 「秘密」と云う言葉が使われると、何やらうさん
臭いイメージがありますが、空海上人の説かれる「秘密」と云うことか
ら、「自分の知らないことは全て秘密であり、自分が向上していけば
秘密が秘密でなくなる」ことが理解されます。
これはまた仏教だけに限らず、全ての道において云えることでは
ないでしょうか。
歴史的に云うと仏教は、お釈迦さまが説かれた真理から、長い長
い年月を掛けて発展して来ました。その長い年月のなかで、インドに
古くからある「バラモン教」や「ヒンドゥー教」と影響をし合い「密教」と
云うものに形を変え、発展をして来ました。この長い年月を掛けてき
た発展は現在、終止符が打たれているとされています。
その最終的な形が「チベット密教」であります。
ですから、空海上人が中国よりご請来された密教は、チベット密
教の前の段階であると云えます。だからと云って、日本の密教が必
ずしも劣っているとは断言できません。なぜならその修行法には、
深い深い秘密があり、人間を仏陀に成らしめる可能性を秘めている
からです。
空海上人は31歳の時、西暦804(延暦23)年に第16次遣唐使に随伴し、唐国に入られました。そし
てその翌年、唐の長安にて「青龍寺」恵果和尚より、真言密教を正統に受け継がれ「真言密教第八祖」
となられました。
この「第八祖」と云うのは「第八代目」と云うような意味合いに捉えてください。私たちで第五十一代で
すから、連綿として受け継がれてきたその長い歴史が伺えることでしょう。
それでは、第一祖から第八祖までの方のお名前を列記してみましょう。
◎ 付 法(ふほう) の 八 祖 ◎
伝 持(でんじ) の 八 祖
第一祖 大日如来(だいにちにょらい) 第一祖 龍猛菩薩(りゅうもうぼさつ)
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第二祖 金剛サッタ(こんごうさった) 第二祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ)
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第三祖 龍猛菩薩(りゅうもうぼさつ) 第三祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)
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第四祖 龍智菩薩(りゅうちぼさつ) 第四祖 不空三蔵(ふくうさんぞう)
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第五祖 金剛智三蔵(こんごうちさんぞう) 第五祖 善無畏三蔵(ぜむいさんぞう)
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第六祖 不空三蔵(ふくうさんぞう) 第六祖 一行禅師(いちぎょうぜんし)
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第七祖 恵果和尚(けいかおしょう) 第七祖 恵果和尚(けいかおしょう)
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第八祖 弘法大師(こうぼうだいし) 第八祖 弘法大師(こうぼうだいし)
上記の「付法の八祖」とは、真言密教の法を相承された方々を云います。右の「伝持の八祖」の中の
「善無畏三蔵」と「一行禅師」の両祖師は、弘法大師直系の祖師ではありませんので「付法の八祖」より
除かれています。
「伝持の八祖」とは、真言密教を世の中に伝え護持されたので「伝持八祖」または「住持(じゅうじ)八
祖」とも云われます。付法八祖の中の「大日如来」と「金剛サッタ」の両祖師は、直接に世の中に伝えて
はおられないので「伝持八祖」より除かれました。
真言のお寺で、普通本堂の中で安置されているのは「伝持八祖」の方々です。機会があればぜひご
覧下さい。
実はこの密教は、インドから中国へと二つの方法で伝えられま
した。
一つは 「 金剛頂経 (こんごうちょうきょう)」 と云うお経を依拠
にした「金剛界 (こんごうかい)」 と呼ばれるもの。
これは精神原理を説きます。
もう一つは「大日経(だいにちきょう)」と云うお経を依拠にした
「胎蔵界(たいぞうかい)」と呼ばれるもの。
これは物質原理を説きます。
この「大日経」を伝えられたのが、先ほどの「伝持第五祖の善
無畏三蔵」と「伝持第六祖の一行禅師」の両祖師です。
この二つの密教が中国で一つとなり、現在の真言密教は「金
胎不二 (こんたいふに) 」と云われるように、この二つの密教で
一つとされてきました。
この「両部の秘法」を継承されたのが、長安の「恵果和尚」ただ一人でした。そして、真言密教が更な
る発展をするために、天に仕組まれた如く 「空海上人」 が入唐され、この「両部の秘法」を継承されま
した。当時、「恵果和尚」には千人を越える弟子がおられましたが、日本から来た異国の僧
「空海」 に
その全てを伝えられたのでした。
時は西暦805年。その年の6月から約三ヶ月間で「真言密教」の全てを伝授されたのです。どんなに
早くても10年は掛かるであろうと云われる「両部の秘法」をです。そしてその約二ヵ月後の12月15日
「恵果和尚」は遷化(死去)されました。
もう少し「空海上人」の入唐が遅れていたら・・・現在の日本での真言密教は存在しなかったのです。
「四国八十八ヶ所霊場」の存在もなかったかもしれません。そして「空海上人」による日本の仏教文化
も生まれなかったでしょう。まさしく神が仕組まれた運命を感じずにはおれません。
「恵果和尚」には「空海上人」を含め、六人の高弟がおられたそう
です。実は「真言密教」を正統に受け継がれたのは「空海上人」と、
中国人で「義明(ぎみょう)」と云う方でした。
「恵果和尚」が、一人は日本人、一人は中国人に継承をされたこと
は素晴らしい選択だったのです。
なぜなら、中国での正統継承者「義明」は残念ながら若くして遷化
されました。中国でのその後の「真言密教」は、徐々に衰退し道教に
吸収されていったのです。。
そして密教の生まれ故郷であるインドでは、イスラム教によって壊
滅されました。ただチベット地方に伝えられた密教のみが日本に伝
えられた密教から更に発展をし、現在の
「チベット密教」 として受け
継がれています。
インドで生まれ、体系化され発展してきた密教は、中国を経て「空海上人」により日本にもたらされ発
展をしてきました。この密教は日本にのみ継承されている不思議を感じずにはおれません。
またこのような貴重な密教の法を受け継ぐことが出来たことを感謝せずにはおれません。
「南無大師遍照金剛」
密教(1) 〜空海上人弘法大師がもたらしたもの
〜 終わり
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本尊・薬師如来 |
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御影堂
第75番・善通寺 |
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修行大師の手前左右に
ご両親の尊像がある
御影の池
(第75番・善通寺) |
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空海上人が御誕生の時より
繁茂していた云われる大楠
(第75番・善通寺) |
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高野山・奥の院
弘法大師御影 |