前回のお話しで、「空海上人」 が日本にもたらした 「真言密教」 の
                      伝来について、歴史的観点から少し触れてみました。そこで今回は、
                      「真言宗」 の 「真言」 についてのお話しをしてみましょう。

                        「真言宗」 の 「真言」 とは、「真実の言葉」 「まことの言葉」 である
                      と云われています。 「真言宗」 においては、この 「真言」 は不可欠で
                      あり、これなくして 「真言宗」 は成り立たないと云えるでしょう。
                       一般の方には何やら呪文のように聞こえるこの 「真言」 は、まさしく
                       「宇宙の秘密」 の一つなのです。「真言」 を唱えることは、とてもとても
                      重要なことなのです。

                        「真言」 は、インドの原語では 「マントラ(mantra)] と云います。それ
                      は 「神聖な思想を盛る器」 という意味があるそうです。しかし真言宗で
 は前述に加えて、「真言」 を各々の仏さまの 「本誓(必ず人々を救済しようと誓いを起てて成し遂げようと
 する)」 と 「悟りの境地」 そのものであると捉えられています。
  それは空海上人が 「般若心経秘鍵」 の中で、『 真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千
 里を含み、即身に如法を証す』 と説かれておられることからも分かります。
  心静かに一心に 「真言」 を唱えていけば、必ずや無始以来の (遠い遠い過去からの、魂が始まって以
 来からの) 「無明 (むみょう−あらゆる妄想、煩悩を生み出す、真理に暗い状態)」 が、仏さまの悟りに導
 かれて取り払われてきます。
 
  また 「真言」 は 「音」 = 「響き」 です。「響き」 は 「振動」 = 「ヴァイ
 ブレーション」 です。森羅万象全ての存在は 「振動」 をしています。
  あなたが今、目にする全てのもの、パソコン、 机、 ペン、 紙、コップ、
 水、 食べ物などなど。 そして外を見れば、 山、 川、 空、 星々、大地
 などなど、全てのものが 「振動」 をしています。
  それは、あなたも私も、全ての人が一人一人 「振動」 をしていること
 でもあります。あなたはどういう 「振動」 = 「響き」 を発しているでしょ
 うか?
  これは 「雰囲気」 と云う言葉にも置き換えることが出来ます。
  どうでしょうか? あなたは荒々しい雰囲気ですか? それとも穏やか
 な雰囲気ですか? いやいや、それとも神々しい雰囲気ですか?
 
  私たちが仏さまのご真言を唱えることは、その仏さまの 「響き」 と同じ
 になると云うことです。
  例えば、「大日如来(だいにちにょらい)」 と呼ばれる仏さまがおられます。全ての仏菩薩は、この 「大日
 如来」 から化身したと云われています。 密教ではこの仏さまを、「宇宙そのもの」 = 「真理」 = 「宇宙の
 法則」 と観ています。この「真理」を、私たちが認識できるように人格化したものが 「大日如来」 なのです。
  この 「大日如来」 のご真言を心静かに唱えるとき、私たちはこの 「大日如来の響き」 と一つになるので
                    す。そのご真言は、
                      「 おん ・ ばざら ・ だと ・ ばん 」 (金剛界大日如来)
                      「 あ ・ び ・ ら ・ うん ・けん 」 (胎蔵界大日如来)
                    の二つがあります。通常はこの二つを合せて、
                      「 おん ・ あ ・ び ・ ら ・ うん ・ けん ・ ばざら ・ だと ・ ばん 」
                    と、お唱えします。
 
                     このご真言は 「大日如来」 の、「宇宙の響きそのもの」 です。あなたが
                    これを唱えるとき、あなたがまず、その 「響きそのもの」 になります。
                     そのとき、「大日如来の響き」 と共鳴をするのです。これが行われたと
                    き、あなたはあなたではなくなるのです。
                     あなたは 「大日如来」 の両腕の中に抱かれ、溶け込み、あなたと 「大
                    日如来」 は区別が出来ないように一つとなるのです。
                     大海の中にコップ一杯の水を流し込んで、 その水と海の水の区別を、 
                    あなたにはできるでしょうか? おそらくできないでしょう。
                     それと同じように、ひたすらご真言を一心に唱えるあなたは今、「大日
                    如来」 = 「真理」 そのものとなっているのです。
  『いや、私はそんなことが出来る人間じゃない。そんな心清らかな人間じゃない・・・。』 と考えたとしても、
 あなたの本当の正体は 「魂」 です。「魂」 は決して汚れておらず、清らかな満月のように光を放っている
 ものなのです。それこそが 「真理」 なのです。
  コップ一杯の水と海の水が区別できないのと同じように、あなたの 「魂」 は 「大日如来」 = 「真理」 と
 区別できないのです。
 
  私たちが 「悟り」 に向かうと云うことは、この 「大日如来」 = 「真理」 を獲得しなければなりません。し
 かしこれは机の前に向かって、どのような難しいお経や参考書を読破しても、「大日如来」 = 「真理」 は
 理解できません。確かに、お経や参考書を読むことにより知識は得ることができます。
  『そうか、そうか、「仏の智慧」 とはこう云うものか!なるほどなるほど!』 と分かっても、それはどこまで
 いっても知識でしかないのです。
  知識で、理屈で 「知っている」 と云うことと、魂が 「悟っている」 と云うことは明らかに違うことです。本当
 に 「仏の智慧」 = 「真理」 が理解されたときは、あなたがその 「仏の智慧」を使い、他の人にそれを示せ
 ることができるようになったときです。まさしく「仏になった」ときです。
 
  早く一人前に職人として仕事ができるようになるためには、親方と寝起きを
 共にし、その身の回りの世話をしながら親方の仕事を一所懸命に真似をしま
 す。
  そうして何年も修行を続けていると、まるで親方のコピーかと思わせるほど、
 その仕事振りは同じようになってきます。職人の世界だけに限らず、スポーツ
 や武道、その他の世界でもこのようにして学んで行くことが基本です。
  お経で教えられる 「仏の智慧」 = 「真理」 も同じことです。お経を読むこと
 で、「仏の智慧」 = 「真理」 を獲得すると云うことは、例えは悪いかもしれま
 せんが、通信教育で空手や柔道を学ぶようなものです。通信教育で強くなる
 人も、ひょっとしたらおられるかもしれませんが、ほとんどは不可能に近いです。
  しかし、道場などで実際の経験があって、その上で通信教育などでもう一度
 基本などを学ぶのであれば違うかもしれません。
  これと同じようにお経に書かれてあることは、最初に学ぶべき必要な 「知識」
 と、自分が 「悟りの道」 を進むに当たっての 「参考書」 と、自分の道に誤りが
 あるかないかを確かめるための 「確認書」 でしかありません。

  やはり 「悟りの道」 を歩むには、実践が必要なのです。その一つが 「真言」
 を唱えることなのです。前述の 「大日如来」 のご真言を唱えることにより、あなたは 「大日如来」 を知識
 ではなく、「魂」 で悟ることができるのです。それは 『これこれ、こう云うものだよ。』 と云った言葉で理解
 するものではありません。
  道徳では 『悪いことはしちゃいけませんよ。』 と教えられますが、分かっちゃいるけど悪いことをやって
 しまいます。理性では、悪いことはいけないと考えているのですが、本能はついつい悪いことをしようとし
 ます。
  道徳的な例えではないですが、皆さんの身近な例でお話ししてみましょう。体を壊して医者からお酒を
 止められます。理性は 『体を治すためだ、飲んじゃいけない。』 と考えます。ところが本能は 『かまうもん
 か、飲んじゃえ。飲んじゃえ。』 と考えます。自分の中で理性と本能がケンかをし始めます。
   しかし人間は弱いもので、とうとう本能に負けます。そして分かっちゃいるけど、お酒を飲んじゃいます。
                        ところが 「魂」 が 「悟る」 と云うことは、理屈では動かないのです。
                      理性が考えることにも、本能が考えることにも、「魂」は決して動かさ
                      れることがないのです。悪いことだと云うことは、道徳などでで教えら
                      れなくても、「魂」 はちゃあんと最初から知っているのです。
 
                        理屈や知識だけでは、決して人は幸せになることは出来ません。
                      理屈や知識だけで幸せになるのであれば、この世界はもう幸せな
                      人々で溢れかえっているはずです。
                        しかし世界の現状は、戦争や人種差別などによって、貧困や迫害
                      などに虐げられている人々がたくさんおられます。そしてあろうことか、
                      宗教から戦争が起きていたりします。
                        全ては自分の都合の良いことしか考えない理屈と知識が生み出す
                      世界なのです。

                        ご真言を唱える修行を正しく繰り返すことにより、仏さまの 「智慧」
                      を得ることができます。それは、知識とか理屈で仏教を学ぶのではな
                      く、仏さまご自身から、私の 「魂」 を通して 「声なき声」 で学ぶのです。
  そこに言葉はないのです。「悟り」 は言葉で学ぶものではないのです。
 
  「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く、一字に千里を含み、即身に如法を証す」(般若心経秘鍵)


                                       密教(2) 〜真言とは何か? 〜  終わり 
密 教 (2)
2002.06.16記
〜  真 言 と は 何 か ?  〜
真言は
此岸(迷いの世界)と
彼岸(悟りの世界)を
橋渡し、苦悩多き人々を
仏の世界へと導く
金剛界の大日如来
を表す梵字
−ヴァン
第61番・香園寺
本尊・大日如来
インドでは、バラの花が
神さまに捧げられる
花は神さまの響きである
石鎚山系の山に沈む夕日