2002.08.17記
〜 運命をつくる 「身 ・ 口 ・ 意」 の働き 〜
残暑お見舞い申し上げます。
今年は暑い日が続いたり、大雨で被害が出たりと大変な夏の日が続い
ておりますが、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今回のお題である 「三密」 は、真言宗が別名
「三 密 宗」 と云われるほ
ど重要視されるものです。 「三密」 とは、代表的には 「身(しん)・口(く)・
意(い)」 と呼ばれる三つの働きを云います。
この三つの働きは、私たち一人一人が持っているものであり、また宇宙
にもこの三つの働きがあるのです。
宇宙の 「身」 は、私たちが目にする全ての形や色を表します。 これを
「身密(しんみつ)」 と云います。
「口」 は、また 「語(ご)」 とも云い、あらゆる音声を表します。これを
「口
密(くみつ)」 あるいは 「語密(ごみつ)」
と云います。
「意」 は、あらゆる自然の法則を表します。これを
「意密(いみつ)」 と云
います。
そして私たちの持つ 「身」 は、この身体そのものであり、それを使った行動を云います。
「口」 は、私たちの言葉そのものです。
「意」 は、私たちの考え方、思いです。
密教の修業は、この自分自身の持つ 「身密 ・ 語密 ・ 意密」 と、宇宙の持つ
「身密 ・ 語密 ・ 意密」
が本来同一のものであることを悟るため、自分と宇宙の 「三密」 を一致させる訓練を行います。
これにより私たち一人一人の存在が、宇宙の存在と同一であることを体験します。
それは 「神との合一」 の瞬間でもあります。
さて今回は、この 「身 ・ 口 ・ 意」 のこの三つの働きが、私たち
の運命そのものを左右することを中心にお話ししましょう。
私たちは日々、何気なく行動し、何気なく会話をし、何気なく考え
ながら生活をしている人々が多いのではないでしょうか?
これらを意識し、コントロールしながら生活出来る人こそのみ、自
分の 「運命」 をより良いものに転換をすることが出来ます。
あなたは 「運命」 と云うものを信じますか?
私たちの日々と云うものは偶然の重なり合いで、その時その時の
行き当たりばったりで全てが起こっていることなのでしょうか?
こう云った問題を考え、答えを出したものが 「運命学」 と呼ばれ、
れっきとした学問としてあるのです。インドや中国では 「帝王学」 と
して、王様になる人は必ず学ぶ学問の一つでした。
それによると、私たちの 「運命」 と呼ばれるものにも、一つの 「法則」 があるようなのです。自然界
の動きを見ていると、そこにはやはり 「法則」 と云うものを見ることが出来ます。
宇宙を見れば、それぞれの惑星が秩序を保って動いています。また、私たちが目にする自然界で
は、季節の流れに応じた草木の動きや、天候などなど、全てが 「法則」 と云うもので動いています。
それでは、私たちの 「運命」 は一体どういう 「法則」 で動いているものなのでしょうか?
それには
まず、 「カルマ」 と呼ばれるものを知る必要があります。
『私は業(ごう)が深くて・・・』 と人が言うように、 「カルマ」 とは
「業」 のことです。 「与えたものは、
与えられる」 と云うエネルギーの動きの法則のことを 「カルマ=業」 と云います。
例えば、人を殴ったり蹴ったりしたら、自分もいつかはどこかで誰かに殴られたり蹴られたりする羽
目に遭うのです。また、人の金品を盗んだりすると、自分もいつかはどこかで誰かに金品を盗られた
りします。
その逆に、人が難儀しているときに助けてあげると、自分も難儀したときに誰かに助けてもらえま
す。これは 「情けは人のためならず」 と諺(ことわざ)にもあるように、人を助けることは結局は自分を
助けることになるのです。
このように、自分が他の人に対して行ったことが、そのまま自分の身の上にも起きてくるという
「法
則」 が 「カルマ=業」 と呼ばれているものなのです。
この 「カルマの法則」 が、私たちの 「運命」 を動かしているのです。
私たちが、他の人や物に対して
「与える」 ものの基本は、その対
象に対して 「身密」 = 「手足や身体をどう動かすか?」、
「語密」 =「どのように言葉を使っているのか?」、
「意密」 = 「どのように考えて接しているのか?」
の三つになります。
あなたは、現在の人間関係や、仕事や家庭などの環境に満足を
されていますか? もし、それらに対して何かの不満を感じておられ
るならば、それらはこの「法則」から見ていくと「自業自得」と呼ばれ
るものなのです。
例えば、 『私はいつも人から邪険に扱われて、人間関係に恵ま
れないのよ。』 とか言っている人は、そのように自分も他の人に対
して邪険に扱い、心ない言葉で傷つけ、人を大切に考えないような
「身 ・ 口 ・ 意」 の使い方をしているものなのです。
これは人でも物でも、また仕事やお金などに対しても、全て同じことが云えると思います。
どうでしょうか? あなたにも思い当たることがあるでしょうか? しかし、ここで自分を責める心の癖
を持っている人は、思い違いをしないで下さいね!
こう云う話を聞くと、 『あぁ、やっぱり自分が悪いんだ!』 と、自分をどんどん責め立てて落ち込んで
いく人がおられます。この考え方は、非常に危険です。
人として生まれて来ることが出来たのは、私たち一人一人が成長するチャンスを与えて頂いたと云う
ことです。誰しも人は、決して最初から完成されたものではありません。出来不出来はあって当たり前
なのです。
私たちの成長と云うものは、それは「人間」と云う、絵や陶芸などのような一つの作品を作るようなも
のですから、不必要な部分は削り取り、磨くところは磨いていくことが最も大切なことなのです。
ですから自分の運命の悪さを嘆くことは、一度きりのこの人生にとってはもの凄く時間の無駄使いを
しているのです。嘆いたところで決して運は良くならないのです。嘆く時間とエネルギーがあるならば、
その分をより良い 「身 ・ 口 ・ 意」 の使い方に費やす方がどれだけ運を良くしていけるでしょうか。
それでは 「身密」 について少し考えてみましょう。 これは前述の
ように、私たちにとってはこの身体を表します。
神さまから与えていただいたこの身体を、あなたは大切にされて
いますか?
私たちは、「輪廻転生」と云う、いわゆる「生まれ変わり死に変わ
り」しながら、何回も何回もこの地上にやって来ております。その度
に古くなった肉体を脱ぎ捨てて、新しい肉体に着替えていきます。
この新しい肉体に着替える時、私たちは神さまからどのような肉
体を与えていただくかは、生前(過去世)、私自身がこの身体をど
のように扱ってきたかで決まります。
あなたがもし、自分の体を動かすことに 『めんどくさいなぁ〜。』
とか 『しんどいなぁ〜。』 とか、いつもいつもそのようなことばかり思
いながら、身体を鍛えることなく邪険に扱い怠惰な一生で終れば、
今度与えられる肉体は今のように自由に動かすことが出来ない体かも知れません。しかしこれは、決
して神さまが罰を与えたと云うことではありません。
それは、体が自由に動かせないことを通じて、「身体を喜んで動かすことが、どれほど素晴らしいも
のであるか」を学ぶことが出来るチャンスを神さまから与えていただいたことなのです。
それとは逆に、体を動かすことが大好きで、いつも大切にしてきた人は、現在よりもさらに美しく、健
全な身体を与えられるようになります。
肉体は、私自身(魂)が乗る乗り物と云えますし、また、私自身(魂)が着る服とも云えます。現実の
感覚的には、私たちが自動車に乗って運転をすることと同じです。私たちは目的地に向かうため、自
動車に乗って運転をして行きます。このとき自動車が、いつ止まるやも知れぬポンコツだったら、目的
地には到底行き着くことが出来ません。
これは私たちの肉体も同じことで、病弱な身体で、いつ死ぬやも知れぬ状態だったら、目的地であ
る「無上正等菩提」の境地に行くことが出来ません。
また、他の人に対しては惜しみなく身体を使うことは、云うまでも
ありません。病弱なお年よりや、身体の不自由な人などのために、
自分がサッと動いて手伝ってあげます。
それから、身体の何気ない仕草も大切だと思います。怒ったりし
ているときの、その人の動きはいかにも、怒っています!と云う態
度をします。 はた目から見ると、こういうものは人を不愉快にさせ
るものです。 しかしこれもまた、自分に返って来て同じように不愉
快な思いをするわけですが・・・。
いかがでしょうか?
私たちは「いのち」の存在です。
この身体を通じて、この「いの
ち」を改めて実感して見て下さい。そして神さまから与えられたこの
身体を、一生けんめいに使い、そして大切に思い、より良い「運命」を創造していって下さい。
それでは、次回は「語密」と「意密」についてお話ししてみましょう。
三密(さんみつ) 〜運命をつくる「身・口・意」の働き
〜 終わり
三密(さんみつ)
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山もまた宇宙の「身密」
奥の院・我拝師山 |
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浦島太郎伝説の地
香川・紫雲出山より望む |
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朝日に照らされる本堂
第72番・曼荼羅寺 |
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昇る朝日も
宇宙の「身密」である
第72番・曼荼羅寺 |
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煩悩 ・ 業障を焼き
尽くす不動明王
別格本山・覺城院 |