觀 音 さ ま (2)
〜 千手觀音(2) 〜
2002.11.17記
四国八十八ヶ所の中にも、ご本尊として「千手観音」がお祀りされているお寺があります。
徳島県 第8番 − 熊谷(くまがや)寺
第10番 − 切幡(きりはた)寺
第16番 − 観音(かんおん)寺
高知県 第29番 − 国分(こくぶん)寺
第38番 − 金剛福(こんごうふく)寺
愛媛県 第43番 − 明石(めいせき)寺
第58番 − 仙遊(せんゆう)寺
香川県 第66番 − 雲辺(うんぺん)寺
第71番 − 弥谷(いやだに)寺
第80番 − 国分(こくぶん)寺
第81番 − 白峯(しらみね)寺
第82番 − 根香(ねごろ)寺
第84番 − 屋島(やしま)寺 以上の十三ヵ寺です。
八十八ヶ所中、最も多いご本尊さまは「薬師如来」です。次いで多いのが「千手觀音」なのです。この観
音さまがお祀りされているお寺の多くは、熊野系の修験(しゅげん)のお寺です。
日本には 「修験道」と呼ばれるものがあり、その修行は基本的に、高い山などに登り自然と一体化をし
ていきます。修験の行者は一定の期間、山に篭って修行を終えた後、里に下りて肉体的にも精神的にも
病める人々を助けていきます。
自然と一体化をすることは、宇宙と一つになることです。またそれは、
神と一つになることです。
それによって得た、超自然的な力、つまりは神の力で以って人々に
貢献をしてきました。その歴史は古く、開祖の「役(えん)の行者」から
約千三百年の月日が流れ、現在に至っています。
この修験のご本尊が「蔵王権現(ざおうごんげん)」と呼ばれておられ
る神さまです。左手を腰に着け、右手を上に高く上げ、右足を上げ左
足の片足だけで立つお姿をされています。そして腰には虎の毛皮をま
とい、額には第三の目があります。
もう気付かれた方もおられるでしょう。そうなのです!
「シヴァ神」は
ここにも根付かれておられたのです。腰に虎の毛皮をまとい、額に第
三の目の姿は、まさしくヒンドゥー教の「シヴァ神(しん)」なのです。
修験のご本尊である「蔵王権現」の本地は「千手観音」
であると云われております。ですから「千手觀音」がご本
尊であるお寺には、熊野などの修験の神社もお祀りされ
ている所が多くあります。
「千手観音」は前回もお話ししたように、その本当のお
姿は「シヴァ神」です。
ですから、修験の「蔵王権現」と結びついても何ら不思
議ではないのです。どれも「シヴァ神」が変化されたお姿
ですから・・・。
おそらく、修験の開祖である「役の行者」は、当時インド
の聖者の世界に伝わる修行法を学ばれたのだと考えら
れます。その頃、インド人が日本に渡来してきてもおかし
くはありません。
「熊野権現縁起」には、インドの王家一族が苛酷な現実
を厭(いと)い、遠く日本に渡来して熊野の神々として垂迹
(すいじゃく−【仏・菩薩が衆生済度のために仮の姿をとって現れることを云う。】)されたとあります。
またこのとき、一人の聖者が共に渡来をしているとも説かれています。そしてこの聖者が、のちに「役の
行者」に生まれ変わったことも語られています。
とにかくインドの聖者が、日本の修験道に多く関わっているのは間違いないでしょう。それはインドの聖
者の世界に伝わる修行法と、修験道に伝えられる修行法に多くの共通点があるからです。なんと修験に、
口伝えで伝えられる秘密と、インドの聖者の世界で口伝えで伝えられている秘密が全く同じなのです。
「蔵王権現」は、「役の行者」が感得されたと云われております。「蔵王権現」の感得の様子は、一般的に
伝えられるのは次のようなお話しです。
天武天皇3年(675年)、「役の行者」が41歳のときです。大峰山(おおみねさん − 奈良県の吉野から
和歌山県の熊野へと連なる山)の山上ヶ岳(さんじょうがだけ)の山頂にある大きな岩に座り、人々を災い
から守ることの出来る強い験力を持った神仏を祈り出しました。
先ず最初にあらわれたのは、弁才天(べんざいてん)と呼ばれる女神さまでした。しかし、優美なお姿で
すので破邪の神としては相応しくありません。そこでさらに深い祈りを続けていくと次に、地蔵菩薩が現れ
てきました。しかしこの仏さまも、慈悲の仏さまですから破邪の神としては相応しくありません。
さらに「役の行者」は祈りを深めていきました。すると、今度は忿怒(ふんぬ)の形相をした神さまが現れ
てきました。これこそ、私が求めていた神だと悟り、その姿をすぐさま樹木に彫りつけお祀りしました。
いずれにしても、「蔵王権現」を「シヴァ神」として仮定するならば、もし本当
にこのように「蔵王権現」を感得されたと云うことは、「役の行者」と云う人物は
とてつもなく偉大な聖者であると云えます。日本にもこのような、偉大な聖者が
存在されたと云うことは、わが国の誇りでもあります。
なぜなら「シヴァ神」は、インドに於いてもなかなか振り向いて下さらない神さ
まだからです。それはとてつもなく大きなエネルギーであり、ちょっとやそっとの
人では決して動かすことが出来ないのです。
実は前回、仏教がその存続を賭けて「シヴァ神」を悪者にする必要があっ
た、と云う風にお話ししましたが、その本当のところは警告でもあるのです。
「シヴァ神」のエネルギーはとても巨大であり、偉大です。ですから普通のレベ
ルの人が「シヴァ神」のエネルギーを扱おうものならば、それこそ消し飛んでしま
う恐れもあるぐらいです。
並々ならぬそのエネルギーを扱うことは、とても慎重ならざるを得ないのです。
それを密教の先徳たちはご存知でしたから、密教やヒンドゥーの行者たちに警
告をするために、仏さまが「シヴァ神」を踏みつけたお姿で表されたのです。
さて、それでは前回に引き続き「千手觀音」の持物のお話しをしまししょう。前回は向かって右側、つまり
「千手觀音」の左手に持たれておられる十八種類の物をご紹介しましたね。
では、今度は向かって左側、つまり「千手觀音」の右手側と、中央の四つの手に持たれている物について
お話ししましょう。
まず、右の手に持たれておられる十八の功徳から見て行きます。
第1の手 「月精摩尼(げっしょうまに)」 − 熱毒を除くことが出来る。
第2の手 「跋折羅(ばざら)」 − 大魔を降し伏せることが出来る。
第3の手 「青蓮華(しょうれんげ)」 − 諸仏の浄土に生まれることが出来る。
第4の手 「鉄鉤(てっこう) − 龍天善神を呼び、加護して頂くことが出来る。
第5の手 「胡瓶(こびょう) − 和合を得ることが出来る。
第6の手 「頂上化仏(ちょうじょうけぶつ) − 一切如来の結縁を授かることが出来る。
第7の手 「宝印(ほういん)」 − 弁才を得ることが出来る。
第8の手 「髑髏(どくろ)」 − 一切の鬼神を召し使えることが出来る。
第9の手 「宝経(ほうきょう)」 − 多聞広学を得ることが出来る。
第10の手 「宝剣(ほうけん)」
− 魑魅魍魎(ちみもうりょう)を降し伏せることが出来る。
第11の手 「鉞斧(おっぷ)」 − 法律にふれる難をよけることが出来る。
第12の手 「蒲桃(ふとう)」 − 五穀成就を得ることが出来る。
第13の手 「白蓮(びゃくれん)」 − 功徳を満たすことが出来る。
第14の手 「宝鏡(ほうきょう)」 − 智慧を開くことが出来る。
第15の手 「宝箭(ほうせん)」 − 善友を得ることが出来る。
第16の手 「宝鐸(ほうたく)」 − 清浄の音声を得ることが出来る。
第17の手 「念珠(ねんじゅ)」 − 諸仏が速やかに来る。
第18の手 「施無畏(せむい)の手」 − 怖畏から離れることが出来る。
それでは次に、中央の四つの手の功徳について見て行きましょう。
中央、上の手 「合掌(がっしょう)」 − 人々に敬われることが出来る。
中央、下の手 「宝鉢(ほうはつ)」 − お腹の病気を癒すことが出来る。
中央、左の手 「戟鞘(げきしょう)」 − 逆賊者を縛することが出来る。
中央、右の手 「錫杖(しゃくじょう)」 − 慈悲の心を発することが出来る。
以上のように、様々な功徳を持物で表しているのです。このことをよく識る人たちは、その目的に合わせ
て持物を選び「千手觀音」に祈るのです。
インドやチベット、ネパール、日本の密教などの神仏たちの絵画や神仏像を
見ますと、お一人のお姿にたくさんの手やお顔が描かれています。
それらを見て、不思議に思ったことはありませんか? 神さまや仏さまは本当
に何本も手が付いているんだろうか? お顔がこんなにあるんだろうか? なん
か気持ち悪いなぁ〜・・・。
「千手觀音」のように、たくさんのお顔や手、眼などを持っていらっしゃるほど、
実は格の高い神さまなのです。「千手觀音」の十一のお顔や、千の手、眼は、
様々な人々を助け導くための「智慧」なのです。その一つ一つのお顔や手、眼
などは、その神さまが持たれている様々な「智慧」を示されているのです。
人々の苦悩と云うものは、本当に人によって様々です。その一人一人違う苦
悩に対応するためには、それ以上に対応できる様々な「智慧」が必要なのです。
私たちは、この人生の中で様々な経験を通していろいろなことを知ります。経
験豊かな人間ほど多面性を持ち、いろいろな人たちにきちんと対応することが
出来ます。
怒っている人に対してはその怒りが鎮まるように、悲しんでいる人に対しては、
その悲しみが消え去り元気になるように・・・などなど。
しかしこの多面性は、しばしば誤解を招くことがあります。なぜなら傍からそのような人物を見ていると、
その言動にいささか矛盾を感じることがあります。なぜなら全く正反対の言動があるからです。
例えば、Aさんには 『この食べ物はお薬になるからたくさん食べるといいですよ』
と勧めながら、Bさんに
は同じ食べ物を、『これは毒ですから食べたらだめですよ』 と正反対のことを云います。でもこれは、その
人に合う食べ物と合わない食べ物があると云う 「智慧」 を持っている故の言動です。そのような意味が分
からない人は、『あの人にはこう云ったのに、なぜ私には反対のことを言うのだろう!ちょっと信じられない
人だなぁ。』と云ったりします。
格の高い神さまは、私たち以上に多面性を携えていますので、やはりその中に矛盾を感じることがあり
ます。しかし私たち一人一人に示される 「智慧」 は、それが全く人と正反対なことでも、神さまが私一人に
示された「智慧」なのです。
神さまにお祈りをして、ご利益を頂けた人も頂けなっかた人も、全てそれは神さまがあなたに対して示さ
れた「智慧」なのです。
「千手観音」 も、その手と眼で私たちを助け導いて下さいます。私たちが素直に助けを求めれば、必ず
応えて下さいます。私たちは一人ぼっちではありません。
あなたが神さまに声を掛ければ、神さまはエンジェルと共にあなたに寄り添って加護して下さいます。
觀音さま(2) 〜千手觀音(2)
〜 終わり
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第43番・明石寺左横に
鎮座する熊野神社 |
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役の行者像
第82番・根香寺
(香川県) |
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中央に四つの手。
左右に三十六の手
で表す
「千手觀音」の智慧 |
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右手に持たれる
18の功徳 |
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第43番・明石寺本堂
(愛媛県) |
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進化のための
破壊と創造の神
シヴァ |
蔵王権現
吉野曼荼羅図より
(如意輪寺蔵) |