2002.12.17記
随 喜(ずいき)
〜 運を良くするための簡単な方法 〜
  私たち真言僧が、神仏をお招きする時に読むお経の中に、「帰命(きみょう)句」 「懺悔(ざんげ)句」
 「随喜(ずいき)句」と云うものがあります。
 
 
 「帰命句」
   帰命十方一切仏  最勝妙法菩提衆 
   以身口意清浄業  慇懃合掌恭敬禮  帰命頂礼大悲毘盧遮那仏
   
   すべての仏と、宇宙の真理と、心の迷いを断じ真理を知り得た境地におられる方々に帰命します。
   私のすべてを清らかにする行いで以って、心を込めて手を合わせ、謹み敬って礼拝します。
   私たちを苦しみから救い助けて下さる、大きな思いやりを持たれた毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)に
  帰命し最敬礼いたします。
 
 
 「懺悔句」
   無始輪廻諸有中  身口意業所生罪
   如仏菩薩所懺悔  我今陳懺亦如是  帰命頂礼大悲毘盧遮那仏
  
   限りなく遠い過去から生まれ変わり死に変わりする人生の中で、身体や言葉、意(おもい)の行いより
  生まれた罪を、仏や菩薩が懺悔したまうように、私も今、そのように自分の罪悪を自覚し告白します。
   私たちを苦しみから救い助けて下さる、大きな思いやりを持たれた毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)に
  帰命し最敬礼いたします。

 
 「随喜句」
   我今深發歓喜心  随喜一切福智衆
   諸仏菩薩行願中  金剛三業所生福
   縁覺聲聞及有情  所集善根盡随喜  帰命頂礼大悲毘盧遮那仏

   私は今、深く歓喜の心を発(おこ)して、精進される方々すべてが歓喜されることに対して同じように
  歓喜し、それを心から有り難く感じます。
   諸々の仏と菩薩が、衆生済度の成就の為の行いの中で、その清められた身体と、言葉や意(おもい)
  から生まれる福と、修行の方々や身の回りの人々が行う良い事を、私も同じように私事のように喜びま
  す。
   私たちを苦しみから救い助けて下さる、大きな思いやりを持たれた毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)に
  帰命し最敬礼いたします。

 
  この三つの句に続いて「勧請(かんじょう)句」「廻向(えこう)句」と、仏さまに申し上げていきます。これら
 の句は、真言行者にとっては必須の文句であり、この五つの句を「五悔(ごかい)」と云います。
 
                       まず最初の「帰命(きみょう)句」は、仏さまに絶対的に帰命すること
                      を宣言することです。
                       「帰命」と云うのは、「絶対的な信頼」において「自分をゆだねる」こと
                      です。私たち真言行者が、まず仏さまを絶対的に信じていなければ何
                      も始まりません。すべては「信じる」ことから始まります。
 
                       私たちは、何を「信じる」か?と云うことがとても大事です。誰しも自
                      分の信じているものがあります。それは、必ずしも神さまや仏さまを信
                      仰するということだけではありません。
                       例えば、朝食は絶対にごはんと味噌汁であるとか、私は会社に行っ
                      て仕事をしなければならないとか、大学へ進学しなければならない・・・
                      などなど。
                       そのように私たちは日常生活の中で、その自分が行っていることを
                      何の疑いもなく信じているわけです。朝食はパンでもいいじゃないです
 か。仕事は会社勤めでなくても、自分で事業をしてもいいじゃないですか。けれども、人によってその違い
 があるけれども、必ず何かにこだわってかたくなにそれを信じます。
  それが神さまであるのか、自分の夢であるのか、些細な日常の生活の中でのことであるのか、とにかく
 何かを信じているのです。信じるからそれに伴う行動が起きるのです。
  
  『心の使い方を変えれば、病気も治り、運も良くなるんだ!』と云うことを信じるから、そのような行動を
 起こすのです。逆に、『心の使い方を変えても、病気なんか治るものか、運も良くなるわけないじゃない
 か!』と云うことを信じているから、今までの心の使い方を続ける行動をするのです。
  ですから、その「信じる」ものが何であるかと云うことで、あなたの住む世界が違ってきます。
  仏さまを信じていけば、仏さまの世界が展開をしていきます。悪魔を信じていけば、悪魔の世界が展開
 をしていきます。また、自分が運が良いと信じれば運の良い人生が、運が悪いと信じれば運の悪い人生
 が展開をしていきます。あなたは一体、何を信じているのでしょうか?
 
  そして「絶対」と云う言葉は、私たちの人間関係の中ではそうそう口に出来る
 言葉ではありません。
  よく世間では、『私は絶対に・・・。』と語る人がおられます。しかし、その「絶対」
 を貫き通す人がどれだけおられるでしょうか?
  人の心はいつも変わります。変わって当たり前ですし、その心の変化を非難
 することは決して出来ません。
  ですから、人を信頼することはとてもとても大切なことではありますが、「絶対
 的な信頼」 は出来ません。「絶対的な信頼」 が出来るのは、神さまや仏さま、
 そして絶対に変わることのない「宇宙の真理」だけです。
  しかし多くの人々は、目に見えない「宇宙の真理」や神さま仏さまを「絶対的
 に信頼」することが出来ず、目に見える目先のことばかりを信じて苦労していき
 ます。「絶対的な信頼」の対象は「絶対的な存在」であることが望ましいのです。
 
  次に「懺悔(ざんげ)句」です。
  仏さまを信じてその道に精進しようとすれば、おのずと過去から犯してきた自分の罪が分かってきます。
 そこでそれらを反省し、今までの考え方や行動を改めることを誓います。
  
  この「懺悔」をすると云うことを、誤解されている方が少なからずおられます。特に真面目に考えられる
 方に多いのですが、「懺悔」を「自分を責める」と云う風に思っておられるようです。
  「懺悔」は決して「自分を責める」ことではありません。
  「自分を責める」ことを美徳だと思われている風潮がありますが、それは全くの見当違いです。「自分を
 責める」ことは、「人を攻撃し、責める」ことと全く同じなのです。
  「人を責める」ことは悪くて、「自分を責める」ことは良いことだと云う考え方は、人を幸せにするものでは
 ありません。他人にであろうと自分にであろうと、「責める」ことに何ら変わりがないのです。
 
                       ですから本当に必要なことは「反省」なのです。「自らを省みる」と云
                      うことが大切なのです。なぜなら、「自分を責める」考えは、そこから前
                      進がありません。
                       『私があの時に、こんなことを云わなければ良かったのに・・・。こん
                      なことをしなければ良かったのに・・・。私が悪い、私が悪い・・・。』と思
                      い続けます。それは現実を逃げてるだけで、駄々っ子と同じです。
                       ところが「反省」は、そこから前進をしていきます。自分が至らなかっ
                      たと云う現実を認め、そこからどうすれば二度と同じ過ちを繰り返さず
                      に済むかを工夫します。
            
                       例えば、事故を起こしたとしましょう。このとき人は、その言動が大き
                      く二つのタイプに分かれます。
                       ある人は『あいつのせいで事故になったんだ!あいつの方が悪いん
 だ!』と云い、人を責めるタイプです。ある人は『あぁ!私が気を付けていればこんな事故にならずに済ん
 だのに!』と云い、自分を責めるタイプです。
  後者のタイプの人が、このときの事故で人の命を奪ってしまったならば、なおさら自分を責め続けるでし
 ょう。これは人である以上当然の思いかも知れません。しかし、いつまでもそのことで自分を責め続けて
 も、その人が生き返るわけではありません。
  やはりそこから、どうすれば良いのかを考え行動をしていくことが必要になってきます。
  時間をかけてでも・・・。
 
  人はなかなか自分の犯した罪を知り、それを認めることは出来ないものです。罪と云うと、何かとんでも
 ない悪いことをしたんじゃないかと考えがちですが、そうではありません。自分の何気ない言葉や行動が、
 他の人を傷つけることも実は罪なのです。
  ですから、私たちが知らず知らずに犯している罪と云うのは、『そんなことぐらい・・・』って考えてしまうよう
 な何気ない些細なことなのです。
 
  次に「随喜(ずいき)句」です。
  心から「懺悔」が出来るようになると、仏さまの「徳」に喜んで随おうと
 云う思いが生じてきます。そこで喜びの心をもって仏さまの「徳」や、生
 きとし生けるものの行う良きことを、我ごとのように喜ぶことを誓います。
 
  この「随喜」が今回のテーマであります。副題にもあるように、運を良
 くする為の簡単な方法がこれなのです。
  あなたは、あなたの知人や友人に良いことがあったときに、本当に心
 の底からその人のことを喜べますか? それも自分の身の上に起きたと
 同じように、喜び思えるでしょうか?
  これが、自分の運を良くするか悪くするかの分かれ道なのです。
  この私たちの世界には、絶対的な法則として「自分から出たものは、
 自分に返って来る。」と云うものがあります。
  これは、今年の9月のお題である「三密(2)」のところで「おさらい」をして頂ければ良いかと思います。
 
  例えば、他の人に対して攻撃的な言葉を使ったならば、自分から「破壊のエネルギー」が出ます。その
 エネルギーは、巡り廻って自分自身に必ず返ってきます。ミサイルが、レーダーを感知して外すことがな
 いように、それは必ず自分自身に撃ち込まれてきます。
  ですから、人の喜びを我ごとのように喜べる心は、「喜びのエネルギー」を自分から出したことになるわ
 けです。出したものは必ず自分に返って来るわけですから、忘れた頃に必ず自分の身の上に喜びごとが
 起きてくるのです。
  この法則を理解できない人々は、人の喜びごとを妬み、そしるわけです。それは自分から「人の不幸を
 望むエネルギー」が出てきたわけですから、自ずと自分を不幸にするような出来事が身の上に起きてくる
 わけです。
 
                       私たちは、自分の運を悪くしているものの一つに「嫉妬」の心がある
                      と云うことを理解するべきです。そしてこの「嫉妬」の心の働きの前に、
                      「劣等感」と云う心の働きがあります。
                       人は自分にないものを、他の人が持っているとそれを羨ましがりま
                      す。自分にはないと云う「劣等感」で心を曇らせ、「妬み」の心から燃え
                      上がる否定的な火によって、自分の良い運気を燃やし尽くします。
                       また「劣等感」の心のエネルギーは「陰気」です。これまた、自分の良
                      い運気の火を消していきます。

                       自分が損か得かを考えたところから始めてもいいですから、「劣等
                      感」や「嫉妬」の心を働かすだけ自分が損であると云うことを、シッカリ
                      と理解することです。これを悟ることが、「仏の智慧」と云うことです。

  運を良くする為の簡単な方法として、まず最初は、自分の身の回りの好きな人の、喜びごとや良い行い
 を喜んでみて下さい。それに慣れてきたら、それを自分のことのように喜んでみて下さい。
  それが出来るようになってきたら、もっと範囲を拡げてみましょう。あなたに関わる人たちの、喜びごとや
 良い行いを喜んでみて下さい。 
  そして最終的には、あなたの最も嫌いな人の、喜びごとや良い行いを喜んでみて下さい。
  それが出来るようになっている頃には、きっとあなたには限りのない神の祝福が身に起きてきているで
 しょう。 

  さて、今年もあと僅かとなりました。
  皆さまにとって、今年はどのような一年だったでしょうか?
  来年も皆さまにとって、良き年でありますようお祈り申し上げます。
  
  合掌。

                              
                                  随喜 〜運を良くする為の簡単な方法 〜  終わり  
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遍路修行中のワンちゃん
第85番・八栗寺にて
多宝塔
第85番・八栗寺
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