大 日 如 来(1)
  (だいにちにょらい)
2003.02.17記
〜 密教の最上根本の仏 〜
                   今回は、真言密教のご本尊である「大日如来」についてお話ししてみましょ
                 う!
                   八十八ヶ所中、ご本尊が「大日如来」の寺は6ヶ寺あります。
  
                     ・ 徳島県  第4番 − 大日(だいにち)寺

                     ・ 高知県  第28番 − 大日(だいにち)寺
             
                     ・ 愛媛県  第42番 − 仏木(ぶつもく)寺
                             第60番 − 横峰(よこみね)寺
                              第61番 − 香園(こうおん)寺
      
                     ・ 香川県  第72番 − 曼荼羅(まんだら)寺
    
                  余談ですが、徳島県の第13番にも大日寺と云う名前のお寺があるのです
                 が、ここはご本尊が「十一面観音」です。
                  815年(弘仁6)、空海上人が現在のお寺の北にある大師ヶ森で修法中、
                「大日如来」の霊告を受けられて堂宇を建立したのが始まりだと云われていま
                す。阿波一宮神社の別当寺であり、当時は一宮寺(いちのみやでら)と呼ばれ
 ていました。明治の「神仏分離令」によって、一宮神社の本地仏(ほんじぶつ)だった「十一面観音」をご
 本尊として独立をしたのが、現在の第13番なのです。

  さて「大日如来」は、私たちにとって一体どういうお働きをして下さる仏さまでしょうか? インドの古い言
 葉であるサンスクリット語では 「マハーヴァイローチャナ・タターガタ」 と呼ばれています。その意味は、
 「非常によく輝く偉大なもの」と云ったものです。
  私たちが身近にその「光り輝くもの」を感じられるのは、なんと云っても「太陽」でしょう。古代から、世
 界中で「太陽」は神として崇拝されていました。「太陽」は分け隔てなく、普(あまね)くその光を照らし出
 し、万物に恩恵をもたらしていました。古代エジプトの「ラー・アモン」などの崇拝は代表的であり、「大日
 如来」は古代ペルシアの太陽神「アフラ・マズダー」と関係があるとも云われています。
 
  真言宗の基盤であるお経に「大日経」(だいにちきょう)と云うものが
 あります。このお経を解説した「大日経疏」(だいにちきょうしょ)と云う
 テキストには、「大日如来」の功徳についての説明がなされいています。
  その功徳とは、「除闇遍明」(じょあん へんみょう)、
            「能成衆務」(のうじょう しゅうむ)、
            「光無消滅」(こうむ しょうめつ)の三つを云います
 
  その第一の「除闇遍明」の功徳から見てみましょう。
  これは、「闇を除いて普(あまね)く明るくする」と云う意味です。現実
 の世界では、「光」があれば「闇」が必ず存在します。「太陽」が昇って
 朝になれば明るくなりますが、沈んで夜になると暗くなり、「闇」が拡が
 ります。
  ところが「大日如来」の性質は、朝昼とか夜とか関係なく普(あまね)く「光」を届けて下さいます。
  
  私たちにとって「闇」とは何でしょうか?
  それは、私たちの本当の姿である「魂」の輝きをさえぎる「煩悩」(ぼんのう)と呼ばれる「心の迷い」で
                 しょう。私たちが使っている、「心」と云うものの中には誰しも、いつも「迷い」
                 があります。
                  その「迷い」が、私たちの歩む人生の道に「闇」を拡げます。真っ暗な夜道
                 を歩くことが危ないのと同じように、明日も分からぬ人生の道もまた危険が
                 一杯です。
                   真っ暗な夜道を歩くとき、あなたはどうやって歩きますか? 一寸先も闇の
                 道を、何も持たずに手探りで一生懸命に歩くのでしょうか? そんなバカなこ
                 とは普通はしませんよね。やはり懐中電灯などを持って、夜道を照らしなが
                 ら歩きますよね。
                  忍者や武芸者なら、真っ暗な道を明かりも点けずに歩くかもしれません。し
                 かし彼らは、夜道を明かりも点けずに歩く訓練をしています。それはまた、訓
                 練と云うものが一つの「明かり」だと云えるでしょう。
         
                   夜道を明かりで照らしながら歩くのと同じように、人生の道にもそのような
                 明かりが必要です。その明かりとは「智慧」です。長い人生の中で起きてくる
                 どのような困難なものも、「智慧」があれば解決することが出来ます。
                   困ったことが起きたら、『拝みます、頼みます!』と云って、神仏を拝むより
                 先ずは「智慧」をめぐらせることが大切です。と同時に神仏に対して、素晴ら
                 しき「智慧」を貸して頂くことと、事の成就を祈ることが大切になってきます。
                  
  「大日如来」のその「光」は、私たちの「迷い、苦しむ心」の人生の道に、「智慧の光明」を照らし続けて
 下さいます。私たちはその「光明」によって照らし出された道を歩むことにより、素晴らしい幸せな人生を
 経験することが出来ます。
 
  ところが、私たちのためにせっかく照らして下さっているこの「光明」が、残念なことに届かない人がい
 るのです。一体どんな人なのでしょうか? 「大日如来」は、分け隔てなくどのような人にもその「智慧の
 光明」を照らして下さいます。なのに、わざわざ傘を差してその「光」をさえぎります。あるいは、家の窓を
 全て締め切って「光」も「風」も入れない状態にします。
  「心の窓」とよく云われます。「家」を「自分自身」と考えてみて下さい。
 「家の窓」は、外の世界に対する接点の場所です。ですから、「大日如
 来」 の 「智慧の光明」 を注いで頂こうと思ったならば、私たちは「心の
 窓」を開くと云うことがとっても大切です。「心を開く」とは、「感動するこ
 と」であり、「信頼すること」であり、「愛すること」です。
  現代の「心の病」で苦しむ方々に対して、「心を開く」 ことを要求して
 もなかなか難しいものがあります。しかし、「大日如来」 の慈愛のエネ
 ルギーが照らされることにより、ゆっくりとゆっくりと時間をかけて「窓が
 開く」のです。「窓」 が開いたら、そこから 「大日如来」 のまばゆい「光
 明」で「心」が満たされていきます。

  次に「能成衆務」の功徳について見ていきましょう。実際の「太陽」が、
 私たちに熱と光を与え、私たち生けるもの全てを育むように、「大日如
 来」のお働きもそのようなものがあります。冬の寒い時に、私たちは「太陽」に非常に暖かさを感じます。
  冬の寒い時とは、人生上の困難な時と同じようなイメージがあります。季節の「四季」に暖かい時もあ
 れば寒い時があるように、人生にも同じような「四季」があります。
  本当に困った時に、そっと差し伸べて下さった人の手は、本当に暖かいものです。これと同じように
 「大日如来」は、私たちが人生の中で様々な問題を抱えて苦しい時に、「光明」を注いで暖めて下さいま
 す。それは「愛」であり、「慈しみ」であり、「成長」であり、「創造」であります。
  草花の種を蒔いても、「太陽」の「光」が当たらなければ育つことが出来ません。草花は「太陽」の「光」
 が充分に当たらなければ、弱々しく育ってしまいます。ヒョロヒョロっと、今にも折れそうな、倒れそうな姿
 です。
  私たちも 「大日如来」 からの、「慈愛の光明」 を注いで頂けなければ育つことが出来ません。私たち
 は、「愛」 がなければ育つことが出来ません。非常に精神的に、弱々しい心で育ちます。それは多くの
 「心の迷い」を生み出し、苦悩の多い人生になります。
                       しかし、「愛」 を一杯注いで頂いた人は、強い 「信念」 と 「意志」の
                      力を持つことが出来ます。それは素晴らしい人生を 「創造」 していく
                      ことが出来るのです。

                       次に「光無消滅」の功徳について見ていきましょう。実際の「太陽」
                      は、朝には東から昇り、夕方には西へと沈んでいきます。「太陽」が
                      昇ったり沈んだりすることで、明るくなったり暗くなったりするわけで
                      す。
                        しかし「大日如来」 の 「光明」は、決して消滅することなく輝き続け
                      るのです。この世界には、「絶対と云うものは存在しない」 と、以前お
                      話ししたことがあります。しかしあるとしたならば 「絶対的な存在」 と
                      は、「真理」 のみです。つまり、「光無消滅」 とは 「真理は永遠に不滅
                      である」と云っているのです。
                       
  真言密教では、「大日如来」 を 「真理」 そのものと見ます。つまり、姿かたちがなく「法則そのもの」 が
 「大日如来」 なのです。河の水がとうとうと流れるのも、「太陽」 が東から昇り西に沈むのも、あらゆる自
 然の中での動きが全て 「法則」 = 「真理」 であり、「大日如来」 であると云うわけです。
  私たちは、誰一人その 「法則」 = 「真理」 から外れることなく生かされているのです。それはまた、
 「大日如来」 の腕の中に抱かれて生きていることでもあるのです。「大日如来」 の息吹は、私たちの息
 吹なのです。また、「大日如来」 の鼓動は、私たちの鼓動でもあるのです。
  これらは古より、また未来永劫何ら変わることない 「法則」 = 「真理」 なのです。

  今回は、「大日如来」の持つ三つの功徳についてのお話しでしたが、もう少しいろいろなお話しをして
 みたいと思います。続きは次回をお楽しみに!

                         大日如来(1) 〜 密教の最上根本の仏 〜  終わり 
大日如来の慈愛の光明
第28番大日寺
金剛界大日如来像
第4番・大日寺本堂
第28番
大日寺ご本尊
第4番
大日寺ご本尊